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自信・自分への信頼 17-1 [自信・自分への信頼]

他人を思い通りに動かそうとする心が自分から自信を奪っていきます。勝手に相手に期待をして、思い通りの反応が返ってこない、こんな積み重ねが、「人生はそう都合よくいかないものだ」「山あれば谷あり」等という心を、自分の中に勝手に育てているのです。

自分が相手に見た姿こそ、自分自身の姿です。

もう一度、人生劇場について思い出してみてはどうでしょうか^^

今私達が生きているこの地球上の生活は、舞台上の出来事です。私達は観客席から人生劇場という舞台を見て、「面白そうだ。自分もこの人生劇場の舞台に上がって演じてみたい」と思って、舞台に上がります。これが「生まれる」という事です。舞台上で自分のやりたい事があって、親も環境も、自分で選んで生まれてきたのです。

舞台に上がったらまず何をするか。それは「自分はここに居るよ!」というアピールです。せっかく舞台に立ったのに、自分が誰にも気付かれない存在だとしたらどう思いますか? 「自分」に気付いてもらえるからこそ「自分」を確認できるのです。

赤ちゃんは、泣いたり、笑ったりする事で、親の気を引きます。親は無条件に子供を可愛がり、愛を注ぎます。しかし、子供が育っていく課程で、「大人しく、行儀良くしなさい」「勉強をしなさい」等、親の都合で、子供が親の期待どおりに動いた時に褒めると、子供は「愛を得るには、何か特別なことをしなくてはいけない」という学習をしてしまいます(自信・自分への信頼15)

何か自分の都合が満たされなければ、相手を褒められない、感謝できない、という具合になってしまうんですね。

逆を言えば、子供の頃の愛が満たされている人は、いつもニコニコと笑顔で、人を褒めたり、感謝することが容易です。人の良いところを見つけるのも得意です。

子供の頃の愛が満たされている人は、人を無理に動かそうとはしません。人を支配しようとしないので、「出来ない」「無理だ」という思考が極端に少ないのです。

「十分に持っている人が、譲ったり与えたりすることが出来るのは当たり前じゃないか」と思う人も居るでしょう。実は、満たされているから、「与える」ことができるのではなく、「与えることが出来れば、自ずと満たされていく」という事が(本人は知らなくとも、意識していなくとも)、幼い頃からの経験で身についているのです。

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自信・自分への信頼 16 [自信・自分への信頼]

以前にテレビで「怒らない村」というものをやっていました。その村では、決して子供に怒らないのだそうです。

その村の大人はいつもニコニコと笑っているために、子供達は「怒る」という事を知らないのだそうです。試しにレポーターが、子供が遊んでいるおもちゃを突然取り上げて勝手に遊び始めると、オモチャを取り上げられた子供は、にっこり笑って、他のおもちゃもレポーターに渡して「一緒に遊ぼうよ」と一緒に遊び始めました。

別の子供は突然、お菓子を取り上げられて、レポーターが勝手に食べてしまうと、他のお菓子を持ってきて「これも美味しいよ」とレポーターにあげてしまいました。もちろん笑顔で^^

「決して怒らないなんて、そんな事できるわけがない」と私は思っていましたが、それは私の経験からくる勝手な予測でしかありませんでした^^;

私達が怒ったり笑ったりするのは、経験から学習した事にしか過ぎないのですね^^
人生にあり得ない、なんて事はないのです。

「こういう時は怒る」「こういう時は笑う」等と、勝手に自分の人生を縛っているのです。勝手に自分の人生に条件を付けているのです。「自分が不幸だ、幸福だ」と判断しているのも、自分の解釈にしか過ぎません。

私達は、いつでも自分の意志で、笑顔も幸福も選択できるのです^^

「出来ない」と思っていることだって、自分の解釈にしか過ぎません。自分の中の常識は、社会の中の都合で決められた事を学習してきただけなんですね。

人生はなんでもあり!

なのです^^

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自信・自分への信頼 15 [自信・自分への信頼]

幼少期に「甘え」が満たされていないと、大人になってからも上手く褒めることが出来ません。「甘え」と言っても、欲しい物をねだったり、人の好意を当てにするようなことではありませんよ^^

それは無条件で「褒めてもらえる」という事です。

「大人しく、行儀良くしなさい」「勉強をしなさい」等、親の都合で、子供が親の期待どおりに動いた時に褒めると、子供は「愛を得るには、何か特別なことをしなくてはいけない」「特別な事をしないと親の笑顔は見られない」という学習をしてしまいます。

「こうすれば相手に良く思われるだろう」と勝手に期待をして、望んだ反応が返ってこないと、「自分が何か悪い事をしたんじゃないか」等と勝手な心配をしたり、不機嫌になったりします。

また、「どうやったら自分の思ったとおりに動いてくれるのだろうか」「自分の都合で人を動かすにはどうしたらいいのか」「いかにして人を支配するか」という考えに心を奪われていきます。自分のルールに従わない人を見ると不満を感じます。「自分の事」がそっちのけになってしまうんですね。

幼い頃の甘えが満たされていないと、自分と他人の区別がつけられなくなってしまうのです。

自分の心が他人に支配されないように、他人もまた自分の思い通りに動かすことは出来ません。ところが、多くの人が「人を動かすにはどうしたらいいのか」という事に心が囚われ、そんな無駄なことをやっている間に人生が終わってしまいます。船長の役目は何だのでしょう?^^

他人を動かそう、変えようとする気持ちの根底は、「自分は変わらない」と思考しています。自分が変わらないので、いつまで経っても同じ様な経験を繰り返します。同じ事ばかり考えて、異なった結果を得ることはできません^^

無理を通して自分の都合が通ったとしましょう。クレームを付けたり、愚痴を言ったり、ゴネ得をして「しめしめ」と、味をしめてしまったら、一生そんな人生です。

思考が実現します。

その時は小さな得をした気分になるかもしれませんが、その思考から離れない限り、愚痴を言ったり、クレームを付けなくちゃいけないような出来事が、形を変えて次々に現れます。そして自分の思考通りに、自分が愚痴やクレームを付けられる立場を経験します。

自分の思考したことは、全て味わうことが出来ます。支配的な思考を持った人は、支配される側も経験できます。支配される側になって、「どうやって人を動かしたらいいのか」学習ができるのです。

この人生劇場には、必要な物が全て用意されている、ということですね^^ 「人生の幸福も不幸も自分で選んでいる」のです。

自分が相手に見た姿こそ、自分自身の姿です。

私達は他人と一体となる必要があるようですね^^ 自分は自分、他人は他人。「自分と他人の区別をつける」と言いながら、「他人と一体になる」とは、どういう事なのでしょう?^^


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